あらすじ

第一話 秋田の大学で蝶の生態を研究する藤木は、1993年の年明け、地元の女子高に通う嶋宮ミサキと知り合い、やがて二人のあいだに文通がはじまる。ミサキは、生まれ育った港町に古くから伝わる民謡「秋田船方節」の歌い手でもあり、民謡をケルト風のバラ…

第一話 1

列車の窓が世界の雑多なものを映しては過ぎ去っていった。闇のなかにときおりうっすらと浮かぶ白い山脈の翳、線路沿いに積もる雪の壁、中年の男の自分の横顔、通路を隔てた反対側のボックス席で肩を寄せ合う制服のカップル。 窓が曇ってくると、藤木はいちい…

第二話 5

宙が降るようだった。 夜空にひとすじの宇宙塵が燃えあがり、黒々とした山並みのかなたへ流れた。冷たい外気に吐息がたちのぼり、天上の星雲へと消えいる。 ――今年の十一月、観測史上最大の流星群がやってくるとニュースでやっていた。そんな夜空を、かつて…

第二話 4

フランス、フランドル地方の空はぼんやりした曇天だった。少し前に到着した光一を、ミシェルは自宅から車で迎えに来ていた。市街の並木道を、石造りの古い建造物群を横目に、ミシェルは欧米向けに販売された日本車を慣れた様子で運転した。 やがて緑ばかり目…

第二話 3

一〇年ほど前に建て替えられた秋田駅舎の二階改札から、象の鼻のようにのびる空中通路を、光一とミシェルは駅前広場へと歩いた。世界的なミュージシャンといると、いつもはほとんど街の空気と化している、通路のそちこちに座り込んで楽器をならす若者たちが…

第二話 2

光一とミシェルは能代で佐沢に別れを告げ、能代からJR五能線に乗り、東能代まで行き、そこで奥羽本線に乗り換え、八郎潟を通って追分まで上った。追分でさらに男鹿線に乗り換え、男鹿半島へ向かった。 船川は、日本海側をはしる男鹿線の終着駅だった。港で…

第二話 1

ソラガフルヨウダッタ 白いものが混じる眉の下の静かな眼差しを向けて、佐沢のしわがれ声が、上空を飛ぶヘリの機内で騒音になかばかき消されながらヘッドセット越しに聞こえてきた。 光一は耳慣れない方言を聞き違えたかと、小型マイク付きのヘッドセットを…

第一話 5

十二月になり、第十七回世界遺産委員会がコロンビアで開かれ、白神山地はユネスコの世界遺産条約の自然遺産リストに記載された。翌年の秋から、藤木は白神山地の秋田県側にある藤里町の研究施設で働くことが決まった。 ミサキは両親や担任から受験大学を決め…

第一話 4

秋田の雪深い三月の終わりは、また北東北の長い冬の終わりでもある。四月には、新しい季節とともに前年までのすべてがリセットされる。最初の週などには三月とは対照的な陽気の日があったりして、道端の雪が踏み固められ泥まみれになったアイスバーンもいつ…

第一話 3

藤木がミサキからの手紙で、秋田駅1番ホームで彼女を探していた自分が、ほんとうは彼女に見られていたと知った夜、藤木はすぐには彼女に連絡をとろうとしなかった。二日目の晩を待って、大学の研究室の引出しから、彼女からの最初の手紙を取り出した。ビニ…

第一話 2

――たとえば宮沢賢治の詩に、〈青い空〉という語句が沢山出てきます。しかし彼は空がほんとうに青色なのではなく、散乱反射による一つの現象であることに感動していたわけです。いわば、彼は青い空を見て「青い」といいながら、世界の自然科学的実相を見てい…